スタッフ紹介

総院長 柔道整復師
河原 龍秀

| 好きなスポーツ | 柔道(七段)、ゴルフ |
|---|---|
| 好きな食べ物 | カレー、ステーキ、ラーメン |
| 施療の心がけ | 丁寧さ |
| 好きな言葉 | 自他共栄(自分も他人も共に栄える意) |
| 業歴 | 25年目 |

院長 柔道整復師
寺井 玄造
こんにちは、院長で柔道整復師の寺井玄造です。
私はスポーツトレーナーの養成校を卒業してからトレーナー活動に従事していました。
その中で怪我をした選手に携わる機会が多く、怪我によりプレイヤーとして活躍できなかったり、パフォーマンスを発揮できずに苦しんでいる人たちと関わってきましたが、自身の力だけでは改善することが出来ず、歯がゆい思いをしていました。
そのような人たちをもっと自らの手で救えるようになりたいと思い、技術と知識をつける為に治療家の道に進むことを決め、その中でも柔道整復師を選びました。
柔道整復師の専門学校では、働きながら通学する為に夜間部に通っていましたが、クラスメイトは20代から社会経験のある人、自分の父親に近い世代まで幅広い年代の人たちがいることに驚きました。
同じ目標に向かい、切磋琢磨しながら勉強する時間はすごく貴重な時間であり、苦楽を共にした仲間の支えがあったから国家試験に合格できたのだと思っています。
就職先はテラピスト接骨院グループを選びました。
理由は専門学校の同期がアルバイトから入社しており、その同期の紹介を受けて河原総院長にお会いしたところ、その熱量というか人間力に惹き込まれ、入社することを決意しました。
おかげさまで入社して5年目を迎え、総院長からたくさんの薫陶を受け、多くの患者さんの施術に関わることができ、大きな自信とやりがいを得ることができました。
徳重接骨院でも自分の経験を元に少しでも多くの方に喜んでいただけるよう施術します。
趣味はカラオケで特技はよく笑うことです!!
明るく元気に施術してまいります!
どうぞよろしくお願いいたします!!!
私はスポーツトレーナーの養成校を卒業してからトレーナー活動に従事していました。
その中で怪我をした選手に携わる機会が多く、怪我によりプレイヤーとして活躍できなかったり、パフォーマンスを発揮できずに苦しんでいる人たちと関わってきましたが、自身の力だけでは改善することが出来ず、歯がゆい思いをしていました。
そのような人たちをもっと自らの手で救えるようになりたいと思い、技術と知識をつける為に治療家の道に進むことを決め、その中でも柔道整復師を選びました。
柔道整復師の専門学校では、働きながら通学する為に夜間部に通っていましたが、クラスメイトは20代から社会経験のある人、自分の父親に近い世代まで幅広い年代の人たちがいることに驚きました。
同じ目標に向かい、切磋琢磨しながら勉強する時間はすごく貴重な時間であり、苦楽を共にした仲間の支えがあったから国家試験に合格できたのだと思っています。
就職先はテラピスト接骨院グループを選びました。
理由は専門学校の同期がアルバイトから入社しており、その同期の紹介を受けて河原総院長にお会いしたところ、その熱量というか人間力に惹き込まれ、入社することを決意しました。
おかげさまで入社して5年目を迎え、総院長からたくさんの薫陶を受け、多くの患者さんの施術に関わることができ、大きな自信とやりがいを得ることができました。
徳重接骨院でも自分の経験を元に少しでも多くの方に喜んでいただけるよう施術します。
趣味はカラオケで特技はよく笑うことです!!
明るく元気に施術してまいります!
どうぞよろしくお願いいたします!!!

| 好きなスポーツ | サッカー、野球 |
|---|---|
| 好きな食べ物 | ラーメン |
| 施療の心がけ | 丁寧な施術 |
| 好きな言葉 | 一期一会 |
| 業歴 | 5年目 |







柔道家・柔道整復師になるために
生まれてきました。
はじめまして、総院長の河原です。
当ホームページを訪れていただき、誠にありがとうございます。
私は祖父が柔道家で柔道整復師、父が柔道家(幻のモスクワ五輪代表)、母が柔道整復師の家系の長男として生まれました。
幼い頃は、体が弱く、いつも両親に心配をかけている子どもでした。
季節の変わり目には必ずといっていいほど風邪をひき、小児科の通院の常連。しかも小児ぜんそくを患っていたので、吸入器は手放せないほどお世話になっていました。
そんな私も幼稚園の年長に入った頃から実家にあった柔道場(河原道場)で柔道を始め、次第に体が強くなっていきました。中学生の頃には父の厳しい指導のもと初段を取得。高校生では参段にまでなり、自信を深めていったものです。
大学は父の母校ということで当時、日本一であった明治大学へ進学。右をみても左をみても全日本や世界、オリンピック金メダリストなどが顔を揃え、しのぎを削っていました。私などの名古屋の田舎者は最初、全く歯が立たない始末。
しかし、人の環境適応とはおもしろいもので、3年生からは全日本学生柔道優勝大会(団体戦)の選手メンバーに入れるようになり(全国第5位)、4年生では寮長としても生活面から後輩の面倒をみるようになり、いつしか主将、副主将と共に部をまとめる存在になっていました。
そんな私でしたが、稽古での無理が祟ったのか卒業時にはケガで満身創痍の体となっていました。そこでこれ以上の柔道生活を断念。しかし、何とかこの経験を活かせないものかと考えた結果、親の勧めもあり、ケガや痛みを手当する側の柔道整復師を志しました。
それまで柔道ばかりしていたので、専門学校時代の勉強は苦労しましたが、運良く周囲の優秀な友人に恵まれていたので、一緒に勉強して国家試験はストレートで合格。そして何よりもクラス全員で合格を手にしたのが嬉しかったなぁ。当時、級長なんかもやっていましたから。
柔道整復師になってからも大変でした。研修時代は朝から晩まで働きづめ。朝は開院準備、施術、昼休みに勉強会、午後の施術、片付け、そして自主的に施術のトレーニング。そんな毎日を過ごしましたが、やりたい仕事をやれている実感と柔道で養われていた精神力のおかげで、人が苦と思うことも苦と思わないようになり、いつしかそれを楽しむことも身につけていきました。
研修期間を終え、いざ開業しようと考えていた頃、母校の米田柔整専門学校に「教鞭をとってみないか」と誘われ、迷いましたが、これも何かの思し召し。「今しかできないこと」と思い受諾。教育者として後進の指導に当たりました。
教員時代は楽しかったなぁ。とても感じのいい、やる気のある学生たちに恵まれ、毎日が忙しくも充実した日々でした。この教員時代の10年間はわが人生の春を謳歌したものです。
しかしながら、そんな春はいつまでも続かないものです。自分の心の中で押さえつけていた熱い気持ちが燃え上がったのです。
「私は柔道家・柔道整復師になるために生まれてきた」
そんな強い衝動に駆られ、接骨院の現場でお客様に施術することが柔道整復師の本分と考え、また柔道家としては柔道教室を興し、子どもたちに柔道指導することを使命に感じた私は平成25年5月に中川区高畑に「高畑駅前接骨院」と「河原道場高畑キッズ柔道教室」を開設、次第にお客様が増え、一接骨院では見きれないほどの人が来られるようになり、柔道教室も地域の方々に支えられ、子どもたちもたくさん集まってくれました。*柔道教室は高畑でみれる人数を超過したため、令和元年4月より安全面の配慮から実家で南区にある昭和27年創業の「河原道場」へ移転して「高畑」と「本家」を一本化し、同時に父より道場主を引き継ぎました。(祖父から数えて三代目)
そういった経緯を経て、平成29年11月に熱田区三本松の名鉄神宮前駅東口徒歩すぐのところに「神宮前駅東口接骨院」を開院し、令和4年6月には中区新栄町に「新栄町接骨院」を開院しました。
私は柔道家として、柔道整復師としての仕事に、強い使命感と深い誇りを持っています。施術家歴25年以上の施術力とプロを2,000人以上、育ててきた指導力で「新栄町接骨院」にご縁を持った皆さまの施術にスタッフ共々あたります。元気に、活力ある毎日を提供したいと思っています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。